ヒロアカから考える不登校と共存
「ルールに合ってだけのくせに」
この言葉は、『僕のヒーローアカデミア』に登場する、敵であるトガヒミコのセリフです。
この一言を読んだとき、涙が止まりませんでした。
「ちゃんとして」
以前の私は、子どもにもよくそう言っていました。
きっと、多くの人が悪意なく使う言葉です。
社会の中で生きていくためには、ルールを守ることは大切だと、
私も思っています。
けれど今は思うのです。
この言葉は、とても残酷なのではないか、と。
「普通」でいられる人も、自分が正義。
「普通」でいられない人も、自分が正義。
正しさと正しさが向かい合ったとき、
私たちは、どこで折り合いをつければいいのでしょうか。
麗日お茶子とトガヒミコの戦いは、
その問いを、私自身に突きつけてきました。
そしてそれは、不登校の子どもと向き合う今の私の姿とも、
深く重なって見えたのです。
※この記事は、『僕のヒーローアカデミア』最終回、アニメ化されたところまでの話の内容に触れています。

ヒロアカから見る、ネガティブ・ケイパビリティの視点
『僕のヒーローアカデミア』(以下、ヒロアカ)を見ていく前に、
少しだけ、心理学の話をさせてください。
ネガティブ・ケイパビリティ
という、言葉をご存知でしょうか。
あまり、聞き慣れない言葉だと思います。
19世紀の詩人ジョン・キーツの言葉が由来とされており、
「答えが出ない状況に、無理に答えを出そうとせず、その宙ぶらりんな状態に耐える力」
というものです。
なんとなく、わかるような、わからないような。
そんな感じではないですか?
でも私は、この言葉を
「白と黒だけで決めない力」
だと受け取りました。
正しいか、間違っているか。
そのどちらかに押し込まず、
グレーの中にとどまること。
ヒロアカの世界では、様々な場面で
この“グレー”が、とても大切に描かれているように感じます。
そして最もそれを象徴していたのが、お茶子とトガヒミコとの関係であり、
私はお茶子のように生きたいと強く感じました。
「正しく」あろうとしたヒーロー
人を傷つけることはダメ、という揺るがないルール
麗日お茶子は、人の喜ぶ顔を見ることが好きだった。
幼少期にヒーロー活動を目にした時、ヒーローよりも周りの人々の笑顔に目がいった。
だから、お茶子はヒーローを目指した。
困っている人に手を差し伸べる、
人を傷つけることは許さない。
お茶子はヒーローとして、「人を傷つけることはダメ」という価値観を
最後まで手放しませんでした。
それは間違っていません。
誰かの自由が、誰かの命を奪うことは許されない。
だからお茶子は、
他人を傷つけ、血を奪ってきたトガヒミコを
受け入れることができませんでした。
トガヒミコを理解できず、恐怖を感じ、突き放した。
それは当然の反応だったと思います。
けれどお茶子は、正しかった。
ヒーローとして、社会のルールの側に立っていたのです。
「普通」に生きようとしたトガヒミコ
「普通にしなさい」と言われ続けたトガヒミコ
トガヒミコの個性は、
人の血を摂取し、その人に変身するというものでした。
そして彼女は、単にそれだけで留まるのではなく、
好きな人の血は、飲み干したくなるほどに欲した。
周囲から見れば、それは異常で、
理解されるものではありません。
友達からも、両親からも、
「異常者だ」「普通にしなさい」と言われ続けた彼女。
けれどトガヒミコにとって、
好きな人の血を吸うという行為は、
「普通の人が、好きな人にキスをすること」と同じ感覚でした。
トガヒミコの当たり前は、”普通”の人が当たり前だと感じていることと、同じことだったのです。
「パパ ママ わからないの
みんな 好きなノに なるのガマン してるの?」
そう問いかけた幼いトガヒミコに向けられたのは、
理解ではなく、拒絶でした。
彼女は、
“敵になりたかった”わけではありません。
ただ、自分の「好き」を否定せずに生きたかっただけなのです。
正しさが、人を追い詰めてしまうとき
トガヒミコを追い詰めた「社会」
お茶子はヒーローとして、人の笑顔を守ろうとした。
トガヒミコは、好きな人への好意を示した。
どちらも、自分の”好き”を求め、行動した結果です。
違っていたのは、それが社会に受け入れられるかどうか。
社会のルールに合っていたかどうか。
「ルールに合っていただけのくせに」
トガヒミコは社会のルールに合わなかった。
だから敵 となり、自分を受け入れてくれた敵連合のメンバーともに、この社会を壊そうと、ヒーローと、お茶子と敵対していきます。

トガヒミコを追い詰めた「正論」
トガヒミコ自身も、自分が”普通”でない、”皆と違う”ことは理解していました。
だから自分自身にフタをして、仮面を被った。
そうして生きにくい世界を生きていた。
これがどれほどまでに辛いことなのか、経験した者でないと理解することは難しいでしょう。
そんな中、彼女が出会った敵
連合のメンバーは、”ハミ出し者”たちの集まりで、
連合のリーダー、死柄木弔
は「好きに生きろ」と言います。
トガヒミコは、自分が生きやすい場所を見つけたのです。
そして、自分が生きやすい世界をつくろうと、
仲間とともに全てを破壊していきます。
しかし、それは人々の安心な生活を脅かす存在。
到底、社会から受け入れられるものではありませんでした。
トガヒミコは、大好きな麗日お茶子と緑谷出久に「好きな人の血が欲しくなる」と伝えます。
けれどその価値観は受け入れてもらえず、
お茶子には「好きに生きて 他人を脅かすなら……その責任は受け入れなきゃいけない」
出久には「僕は 好きな人を 傷つけたいとは思わないよ」
と正論を叩きつけられ深く傷つき、大好きだと言っていた人たちをも拒絶し、心を閉ざしていきます。
そして彼女は敵 として完遂することになります。

それぞれの「普通」
笑顔が素敵な女の子
お茶子は最後まで、
トガヒミコの行為を正しいとは言いませんでした。
人を傷つけたこと。
社会を壊そうとしたこと。
その線は、ヒーローとして越えませんでした。
けれど同時に、
トガヒミコの「好きに生きたかった」という思いを、
否定することもしませんでした。
人の笑顔を見ることが好きだったお茶子は、トガヒミコの笑顔をなかった事にはしたくなかった。
「その顔をやめなさい」と言われ続けたトガヒミコでしたが、
初めて「笑顔が素敵だ」と、お茶子に言ってもらえたのです。
お茶子ちゃんはなかった事にしなかった
それは痛くて辛いけど
触れられた時ーー
心が フワッて
軽くなったから
ありがとうねえ お茶子ちゃん
嬉しかったよ
本当に 嬉しかったの
お茶子ちゃん「引用:『僕のヒーローアカデミア』第39巻395話 トガヒミコのセリフより(著:堀越耕平/集英社)©堀越耕平/集英社」
命をかけた戦いの中で、ヒーローとしての正しさではなく、
ひとりの少女として、お茶子は必死にトガヒミコに向き合い、想いを伝えた。
お茶子は許したわけではない。
全てを受け入れたわけでもない。
ただ、
自分の正しさで、相手を型に嵌めなかった。
白か黒かで裁くのではなく、
その間にある場所を探そうとした。

これが、「ネガティブ・ケイパビリティ」だと思います。
答えを急がず、
ひとつの正解に押し込まず、
宙づりの状態に耐えながら、
相手と向き合い続ける力。
お茶子は、その一番苦しい場所に
立ち続けていました。
トガを敵 にしたのは、誰だったのか
物語の最後、
トガヒミコは自分の命と引き換えに、
瀕死のお茶子を救います。
お茶子の血を摂取し、自身がお茶子に変身することで、
輸血をしたのです。
トガヒミコの個性は、
本当は人を傷つける力ではありませんでした。
命をつなぐことのできる力だったのです。
もし、もっと早く。
この力の別の使い道に気づけていたら。
もし、社会に受け皿があったなら。
彼女が敵 になることもなく、
こんなに悲しい結末を迎えることはなかったでしょう。
お茶子はその後、
深い後悔を抱えることになります。
「あんな形でなくても…!
見つけられる方法がなかったかなぁっ!!
もっと早く…!!!
気付けてたら!!」「引用:『僕のヒーローアカデミア』第42巻429話 お茶子のセリフより(著:堀越耕平/集英社)©堀越耕平/集英社」
手を差し伸べ続ける物語
お茶子は、
その後悔を無意味にはしませんでした。
プロヒーローとなった彼女は、 子どもたちを対象にした
「個性カウンセリング」という活動を強化し、小学校を巡っていきます。
問題が起きてから裁くのではなく、
「おかしい」と言われる前に関わること。
居場所を、先につくること。
それは贖罪ではなく、
共存を探し続けた結果だったのだと思います。
『人は 生まれながらに平等じゃない
僕らは一人一人形が違って
それ故に他者を思う
形の違う その身と心を だからこそ
他へ馳せ 交点を探す
(中略)
誰かに思いを馳せることが
ヒーローへの一歩だとしたら
あの日 誰もが 最高のヒーローだった。』『皆といつまでも
いつまでも 手を差し伸べ続ける物語』「引用:『僕のヒーローアカデミア』第42巻430話(著:堀越耕平/集英社)©堀越耕平/集英社」
ヒロアカの世界では、職業として”ヒーロー”が存在する。
けれど、特別な力はなくても、相手を思い行動を起こせたのなら、
誰でもヒーローになれる。
それは、漫画の世界の中に留まらず、現実世界でも同じことが言えるでしょう。
そんな、素敵な物語でした。
不登校と、ヒロアカが重なる理由
親のルールと、子どものルール
この物語は、不登校とも深く重なると私は感じました。
学校のルールに合わない。
集団がしんどい。
みんなと同じようにできない。
「普通にしなさい」
私たち親も、
忙しさや焦りの中で、つい口にしてしまいます。
けれど、それは親のルールです。
子どもにとっての正解とは、必ずしも同じではありません。
白でも黒でもない、グレーの世界
正解は、ひとつではありません。
だから、自分のルールを押しつけることも、
すべてを受け入れて自分を削ることも違う。
相手を理解しようと話を聞くこと。
でも、自分も我慢しすぎないこと。
そのあいだにある「折り合い」を探すことが、
共に生きるということなのだと思います。
白か黒だけで決めず、グレーの中にとどまる。
そのグレーの中には、無数に選択肢が広がっているのだと考えます。
今の私は、
その場所に立ち続けようとしています。
我が家のグレー:「家を居場所に」
学校に行くことだけが正解じゃない。
学校に行かないことは、悪いことではない。
私が今、娘に伝えていることは
「学校に行きたくないなら、行かなくてもいい。
でも、今勉強しないという選択には、後で困ることがあるかもしれない。
それでもあなたが考えて出した答えなら、ママは受け止めるよ」
こう書くと、とても無責任な発言のように聞こえるかも知れません。
けれどその前提には、
”あなたの将来を心配している”という気持ちがあり、そのことは娘にも伝えています。
学校に行きたくない娘。
勉強したくない娘。
将来が不安な親。
本当は、学校に行ってくれたら安心できるのにと思う親。
その折衷案として、我が家が選んだのは、
家庭の中に「居場所」をつくることでした。
家庭で、娘の居場所をつくり、受け止めることでした。
でも、親である自分の不安や心配に思う気持ちも、正直に伝えました。
それでも、手を伸ばすという選択
不登校の初期、
私は娘に「普通にしなさい」とは言いませんでした。
けれど、「なんで行かないの?」と何度も責め立ててしまいました。
今では、
あれは娘を追い詰める、とても酷い言葉だったと後悔しています。
だからこそ、
トガヒミコの苦しみが痛いほど伝わり、それを理解しようとしたお茶子の葛藤が、
とても苦しく感じられたのだと思います。
できることなら、
ふたりが笑って恋バナをする世界であってほしかった。
そう願わずにはいられません。
それでも、その悲しみの上に立ち、
糧として前に進んでいくお茶子の姿は、私に大きな勇気を与えてくれました。
これからも私は、この作品の言葉を抱えながら、
子どもたちに、そして周りの人に、手を差し伸べ続けていけたらと思っています。
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自分の価値観を押し付け、無理やり登校させた日々。
そこから見えた後悔と、私の対処法について綴っています

「学校に行かなくてもいい」そう決めた後も、不安が完全に消えることはありませんでした。
けれど、そんな不安を少しでも軽くする方法を見つけ、実践。
少しずつですが、徐々に軽くなっていきました

最後までお読み頂き、ありがとうございました。
この記事が、誰かの心を追い詰めるのではなく、
ほんの少しでも、息がしやすくなるきっかけになっていたら嬉しいです。
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悩み・不安・その他、どんな些細なことでも結構です。
誰かに聞いて欲しい思いがあるのなら、ぜひ、ご活用ください。

