【第4話】遅刻・早退・評価ダウン。不登校と仕事の両立で壊れかけた私の話

この記事は、不登校と仕事の両立に悩み、「どうしてこんなに苦しいのか」と感じている方に向けて書いています。
娘の不登校が始まったとき、私が一番つらかったのは、学校に行かない娘の姿ではありませんでした。
職場に理解されず、居場所がなくなっていくこと。
「ここにいてもいい」と思えないことが、どれほど心をすり減らすのか──
これは、そんな毎日にもがきながら、環境を変えることで少しずつ前に進めた私の記録です。
【1】不登校と仕事の両立で壊れかけた日々
遅刻と早退を繰り返す日々
娘の不登校が本格化し始めた頃、私は毎朝、時間との戦いでした。
登校を嫌がる娘に付き添い、どうにか学校まで送り届ける。
泣き叫ぶ娘の手を引き、車に押し込み、学校の玄関で待つ養護の先生に「お願いします」とほとんど”押し付けるように”託していました。
その足で会社に向かうも、当然始業には間に合わず、遅刻。時には呼び出しで早退。
そんな日が何度も続きました。
上司には「子どものことで遅れるのは仕方ないかもしれないけど、他の人だって事情を抱えてる」と言われたこともあります。
そのことはもちろん、重々承知でした。けれども、
「そんなこと言われても・・・」
というのが、本音でした。
だって、それは自分が一番よくわかっていたから。
毎朝毎朝「遅れます」の連絡を会社にいれることが、苦痛でしかたがありませんでした。
毎朝、戦場のような自宅から飛び出しても、職場に向かう心は晴れませんでした。
不登校対応で信頼を失い、仕事を外された話
私は、徐々に信頼を失っていきました。
遅刻や早退、急な休みが重なったせいだと思います。
チーム内で担当業務の再構築の際、今まで担当していた業務から外され、寄せ集めたような単純な業務ばかりが割り当てられるようになりました。
「こっちの仕事の方が負担が少ないと思うから、気がラクだと思うけどどう?」
上司からそう声をかけられたとき、私は何も反論できませんでした。
本当に上司の配慮だったのかも知れません。
でも、その時にはすでに上司との信頼関係は壊れていて、私には戦力外通告のように感じました。「迷惑かけているのだから、意見を通すことなんて出来ない。これ以上、わがままを言う事なんてできない。」
会社に行くのも苦痛、やりがいもなくなった仕事、子どものことで悩む日々。
毎日がしんどくて、すり減っていく日々でした。
会社として在宅勤務やフレックスは制度として認められているのに、使うたびに後ろめたさがついてくる。
次第に、上司の目が怖くなっていきました。
上司の言葉が、私を追い詰めた

泣きじゃくる娘を無理やり学校に送り届け、私自身泣きそうになるのを堪えて、その足で出社する。そんな日が続き、私の心はいつもギリギリでした。
遅刻・急な呼び出しによる中抜け、早退・・・職場でも、自分が”迷惑な存在”になっていると感じました。少なくとも、上司からはそう見られていた気がします。
以前とは明らかに態度が一変し、避けられるようになっていたからです。
直属の上司は、私の家庭状況を知っていました。
それでも、「在宅ばかりだと周りが困る」「あなただけを特別扱いはできない」と言われました。
上司としては、当然の指導だと思います。チーム全員を公平にする必要がある。
けれども、同じ女性でもあり、子どももいる上司は、チームで一番、私の気持ちに理解を示せる立場であるはずの人でした。
その人からの辛辣な言葉だからこそ、辛く、「ここに必要のない人間だ」と感じさせる力がありました。
上司の言葉の一つ一つが、心に突き刺さりました。
全うできていない自分自自身にとても嫌気が差し、上司の言葉を受け入れることしか出来ませんでした。「ちゃんとしなきゃ」と思えば思うほど、何もかもがうまく行かず、
遅刻するたびに、罪悪感と自己嫌悪が増し、娘に対しても、キツイ態度を取ってしまうこともありました。
不登校の娘にイライラをぶつけてしまった後悔
「なんで学校に行ってくれないの」
「あなたのせいで、仕事がうまくいかない」
そんなふうに、思いたくないのに思ってしまう。
泣きわめく娘に強く当たってしまい、自己嫌悪で涙が出る。
自分の感情をコントロールできないまま、誰にも言えず、毎日が苦しくて仕方ありませんでした。
【2】環境を変えて見えたこと
学校行くのを辞めよう
前回の記事でも書きましたが、ある日学校にいるはずの娘からLNEが届きました。
「かえる かえる」とびっしり書かれた紙切れの写真。
その時、娘はベランダにいたと、先生から聞きました。

それを聞いた瞬間、恐怖と自己嫌悪で張り裂ける思いでした。
なんで私は娘を無理やり連れて行ったんだろう。
なんで私は泣いて嫌がる娘を置き去りにしたんだろう。
なんで私は会社にいるんだろう。
何よりも大切な子どもを蔑ろにしてまで、会社にくる必要があるのか。
私が子どもを苦しめていたんだ。
私が守らないで、誰が子どもを守るの?
職場で評価が下がろうと、上司に嫌われようと、そんなことはどうでもいい。
もう、無理やりつれていくことは辞めよう。
学校に行くか行かないか、それは娘が決めればいい。
仕事のことは、できる範囲で誠心誠意やるしかない。それだけだ。
そう決めた出来事でした。
「家にいていい」と伝えたあとの変化
「学校に行かなくてもいい。あなたが決めればいい。家にいていいよ。」
そう、娘に伝えました。
娘は安堵したような、でも恐る恐るとしたような表情で「いいの?」と言いました。
私がずっと心に残っているセリフがあります。
スタジオ・ジブリ『耳をすませば』
主人公 月島雫のお父さんのセリフで、初めて観た中学生の頃からずっと印象に残っている言葉です。
それは、受験生なのに勉強もしないで小説の執筆に取り組み、成績を落として
両親と話をしているシーンです。
『自分の信じる通りにやってごらん。でもな、人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。』
当時、自分に特別やりたいことがあったわけではないのですが、子どものことを信じて認めた父親の言葉が、心にくるものがあったんですよね。
「見ていてくれる人がいることの安心感」
それって、大事なんだなって、今ならわかります。
中学生だった私に、この言葉がなぜ刺さったのか、今はわからないんですけどね。
雫は、自分のやりたいことがあって、そこに向かって突き進んでいるので、
「ただいやだから」という理由で、人とは違う道を選んでいる娘とは状況が違います。
それでも、『人と違う生き方はそれなりにしんどい』これは、娘に伝えました。
「学校に行きたくないなら行かなくてもいい。だけど、皆と違う道を選ぶのは、あなたが将来困ることになるかも知れない。小学校の勉強は、人生の土台にもなるから。それを勉強しないのは、あなた自身がいつか、困ることになると思う。後悔するかも知れない。人との関わりが少なくなることで、困ったことが起きるかも知れない。それは、理解していてね。」
「だけど、本当はママは行って欲しいと思ってる。勉強もそうだけど、運動不足や栄養面の心配もあるからね。だけど、あなたの心が辛いなら、無理しなくていい。でも、ママの気持ちも知っておいて。」
それを聞いた娘は、「わかってる」そう言いました。
小学3年生ながらに、悩み苦しみ、自分の置かれている状況、親の気持ちも理解しようとしてくれていたのだと思います。
娘が安心して家にいられる環境を、作ることにしました。
そこから、娘も少しずつ表情が柔らかくなっていきました。
留守番・保育園トラブル…両立の現実
娘との関係が良好になっても、仕事への悩みやストレスが解決したわけではありませんでした。
引きずって投稿させることをしなくなったので、予定通りの時間に家をでることができるようになり、遅刻は減りました。
しかし、時々下の子が「お姉ちゃんだけずるい。僕も休む」と言って駄々をこねることもあり、保育園に連れて行くのに手間取ることもありました。
在宅勤務の日は、仕方なしと保育園を休ませて、仕事をすることも。
でも、保育園児だから「仕事中だから邪魔しない」なんて配慮ができるわけもなく。
仕事が捗らず、プチストレス。
出社の日は、さすがに置いていけないので保育園に連れて行くほかありません。
園児といえど年中の男子ともなれば、かなりの力。全身を使った抵抗には骨が折れました。
米俵のごとく抱えて運ぶのも、30後半も過ぎればかなりの重労働。
今振り返れば、ひとりでよく頑張ったなぁって思います。
娘のことは、家にひとりで留守番させました。
とはいえまだ小学3年生。心配で心配でたまりませんでした。
地震が来たら?火事になったら?空き巣が来たら?
いやなことばかり思い浮かびます。
同時に上司の「あなただけ特別扱いはできない」という言葉も浮かんできます。
けれど、【学校にいかなくていい】と選択したのも自分。
【会社に行くこと】を選択したのも自分。
全部、自分で決めたことです。腹を括って娘をひとり残して仕事へ向かいました。
帰宅するのは19時頃。そんな時間まで独りにしてもいいものだろうか。
葛藤したこともあります。
けれど、娘の成長とともに次第にその気持は薄れていきました。
もちろん、小学6年生になった今でも災害が起きたらどうしようという不安がないわけではありません。
それでも、【学校に行かない選択】をしたことは、私たち親子をいきやすくしてくれたことに間違いはありません。
読者につたえたいこと
私が一番つらかったのは、子どもが不登校になったことではありませんでした。
理解されない職場で、必要とされていないと感じながら、毎日を耐えていたこと。
そして、そのなかで娘にもきつく当たってしまう自分が、一番つらかったのです。
「がんばる」ことはすばらしいこと。
でももし今、あなたが「がんばり続けるのが苦しい」と感じているなら──
覚えていてください。
環境を変えることは、逃げではありません。
「変えてもいい」「動いてもいい」。
あなたの心を守るために、あなたが選んでいいんです。
私も、勇気を出して動いたことで、ようやく少しずつ楽になれました。 環境を変えるのは怖いかもしれません。でもその一歩は、未来のあなたをきっと守ってくれるはずです。
今のあなたが、一番がんばっている。
どうかそのことだけは忘れないでください。

次回予告
次回は、仕事との両立に悩み続けた私が「転職活動」に踏み切った記録をお届けします。
居場所を見つけることの大切さ、そしてその一歩がもたらした変化を、リアルな心情とともに綴ります。