【第6話】「このままで大丈夫?」と何度も思った──親の不安と、私が見つけた希望

子どもの心を守るために、「もう無理に学校へ行かせない」と決めた。
でも、正直に言えば── 本音では「行ってくれたら安心なのに」と、今も思ってしまう。
だから私は、できないことではなく「今できていること」に目を向けるようにした。
同じように悩むあなたにも、そんな視点が小さな安心につながれば嬉しいです。
不安は、消えていない
このまま学校に行かない日々を続けて、将来どうなるんだろう。
低学年のうちからろくに勉強しなくて、大丈夫?
体が育つこの時期に、家にこもって運動不足で、健康に問題はない?
友だちや先生との関わりもないまま、社会性は身につくの?
学習面、健康面、社会性……心配ごとを挙げだしたら、きりがありません。
でも私は、「行かせない」と決めました。
だからこそ、私は自分の不安を、そっと押し込むことにしたのです。
私がこんなにも不安になったのは、 「ちゃんと育てたい」「幸せになってほしい」って、心から思っているからだった。
それを“ネガティブな感情”として否定するのではなく、 「それでも向き合ってきた日々」として、いつか誇れるようになれたら──
不安は、“愛”の裏返し。
だから私は、「それでいい」と、そっと受けとめるようになりました。
視点を変えてみた
その代わりに、私は**できていること**に目を向けるようにしました。
- 「おはよう」と自分から挨拶してくれた
- 「ねぇ、ママこれ見て」と話しかけてくれた
- 好きな絵を夢中で描いていた
以前の私は、できていないことばかりが目についてしまっていたのです。
部屋の片づけができない。
脱いだ服はそのまま。
使ったお皿も、お菓子のゴミも放置。
下の子は、靴をそろえたり、洗濯物をかごに入れてくれるのに──と比べてしまうことも。
でも、最初は、「どうして下の子ができて、上の子ができないの?」と思っていました。
まだ幼いからできないと思っていたことが、下の子がやっているのを見て気づきました。
それは年齢の問題じゃない。
この子の“性格”なんだ。
そう思えたとき、私は上の子の“できていること”にちゃんと目を向けようと思いました。
不登校の子を前に「できないこと」ばかり気になるとき
「できていること」に光を当てる
学校に行けないことも、勉強していないことも。
「できていない」に目を向ければ、不安や心配は尽きません。
気づけば私は、毎日“できていないチェック”ばかりしていました。
早起きできていない。漢字ドリルも進んでいない。体力も落ちている……
どこか“減点方式”で、我が子を見てしまっていた自分に気づきました。
でも、それでは親も子も、どんどん苦しくなっていくだけ。
そう気づいたとき、私は少しずつ視点を変えるようにしました。
たとえば─
- 朝、起きた瞬間に「おはよう」と言ってくれたこと
- 好きな動物の話を、自分から楽しそうに教えてくれたこと
- 昨日より少しだけ、穏やかな表情をしていたこと
それって、「生きている」ってことの、かけがえのない証拠だと思うんです。
勉強や登校より、もっと大切なものが、ちゃんと目の前にあると気づけました。
そしてそれは、私自身にも必要な視点だったのかもしれません。
「この子ができていない」と思うたび、
どこかで「自分がちゃんとできていない親なんだ」と、自分を責めていました。
だからこそ、
「この子にも、私にも、“できていること”はある」と考えることが、
私にとっての心の深呼吸になったのです。
親の“できたこと”にも目を向けてみる
子どもができたことだけじゃなく、
自分ができたことも、数えるようにしてみました。
- ご飯を作った
- 仕事に行った
- 「学校に行かなくていいよ」と言ってあげられた
- 子どもと笑い合えた
どんな小さなことでもいい。
ずっと責めてばかりいた自分に、少しだけ視点を変えて、「それでいい」と認めるようにしました。
もちろん、責める気持ちがまったくなくなったわけではありません。
悩む日もあるし、苦しむこともあります。
でも、それでも前を向こうと思えるようになったのは──
「できていないこと」よりも、
「できていること」に目を向けるようになったからだと思います。
そんな日々の中で、娘が夢中になった「うさぎ」との出会いがありました──
学校に行けなくても、“学ぶ力”は日常の中で育つ
クリスマスに“うさぎが欲しい”と言われた日
娘が「クリスマスにはぬいぐるみじゃなくて、本物のうさぎが欲しい」と言い出したのは、ちょうど学校を休み始める少し前のこと。
今思えば、この頃から気持ちが不安定だったのだと思います。
「さすがに本物はサンタさんも無理だよ~」と笑って流していた私でしたが、
その後、初めて「学校に行きたくない」と言って休んだ日に、ふたりで動物カフェへ出かけました。

その時うさぎ専門店があったので、立ち寄ることに。
娘は、1羽のうさぎに目を輝かせました。

興味の先にある“学びの芽”を、そっと見守る。
私は、犬を飼っていた経験があるので、動物を飼うことの大変さは知っています。
だからこそ、もう動物は飼いたくないと思っていました。
それでも、娘の気持ちが不安定になっていたことを心配して、ひとまず、うさぎの飼い方の本を買い与えました。
「これできちんと勉強して、あなたが知識をつけて責任を持てると思ったら、ママはその時改めてどうするか考えるよ」
と伝えました。
その頃の娘は、不安定ながらもときどき登校し、教室に行けない日は保健室でうさぎの飼い方の本を読みこんでいたようでした。
びっしり付箋を貼って、「こうやるんだって!」と教えてくれることもありました。
学校の勉強はしていなくても、 「必要だから学びたい」と感じて、自分で調べて、知ろうとしていた。
“興味を持って調べる力”
“自分で学びを深める力”
それが、ちゃんと育っていることに気づいたとき、私は少しだけ安心できました。
命を育てる経験をさせたい
うさぎをお迎えすることは、私にとって簡単な決断ではありませんでした。
シングルの身で、お金にも時間にも余裕はない。
でも、娘が「本を読んで、ちゃんとお世話する」と一生懸命だった姿を見て、私はこう思いました。
この笑顔を、守りたい。
お金のことは、なんとかしよう。
やりくりして、予算を捻出する計画をたてました。
結局、あのとき娘が「名前ももう決めてる!」と嬉しそうに話す姿に背中を押され、
私はその子をお迎えすることを決めました。
夢中になれるものが、子どもの表情を変えた
「好き」を信じて応援することにした
その後、娘の9歳の誕生日に、私はiPadを贈りました。
正直、高すぎるかもしれないと、何度も迷いました。
でも、娘が絵を描くことに夢中になっている姿を見て、
「この子の“好き”を、ちゃんと応援してあげたい」と思ったのです。
学校に行っていなくても、勉強していなくても、
**「夢中になって何かを続けている」**という姿は、私にとってとても大きな希望に見えました。
そして、何かひとつでも夢中になれていることがあるのなら、学校にいかなくてもいいか、そう思えるようにもなりました。
ただ毎日をダラダラすごしていたら、不安だったと思います。
なんでもいい。例えそれがゲームでも。
なにかひとつ、好きだと言えることがあるのなら、それで充分だと思うようになりました。
iPadで描きはじめて、娘の表情が変わった
iPadを手にしてから、娘の表情は少しずつ明るくなりました。
最初は操作に戸惑っていたものの、YouTubeで描き方を調べたり、アプリの機能を試したり。
気づけば、以前よりも長い時間、集中して絵に向き合っているようになっていました。
はじめはガタガタで、バランスも悪かったのに、いまではアタリをつけたり、色の塗り方の工夫、ポーズのバリエーションなど、目覚ましい成長を遂げています。
娘と話していて時々感じますが、私と娘とで「見えている色の数が違うな」と思うことが多々あります。
私には白に見えているけど、娘は紫だといいます。
娘にとって、【絵を描くことは特別】なのだと思い、娘にとってiPadは金額以上の価値があったと感じました。
「誰かのために描けた」その喜び
ある日、SNSで使うアイコンを娘に描いてもらいました。
「できたよ!」と少し照れながら、でも嬉しそうに見せてくれたあの笑顔は、今も忘れられません。
私は小さな報酬の500円を渡しながら、こう伝えました。
「自分の得意なことで、誰かの役に立てるって、すごいことだよ」
娘はとても誇らしそうに笑っていました。
そのアイコンは、パッと見では子どもが描いたものには見えない出来で、今も他のSNSで使用しています。
心に根を張るような、小さな自信
きっとその経験が、
「自分にもできることがある」
「自分には価値がある」
──そんな小さな“根っこ”として、娘の心の中で成長してくれたらいいなと願っています。
学校で評価されることだけが、成長の証ではない。
“夢中になれるもの”があるということ自体が、その子の力であり、生きる希望なのだと、私は娘を通して教えられました。
不安は、今もある。でも──
正直に言えば、今でも時々思います。
「少しでもいいから学校に行けていたら、安心だったのかも」と。
でも、そう思う自分も、責めないことにしました。
その気持ちも嘘じゃないから。
その気持ちも、私だから。
だから、ちゃんと受け止めてあげようと思いました。
学校に行かないことは、「逃げ」じゃない。 その代わりに、「今この子が心から求めていること」を信じて、そばにいよう。
今日を一緒に過ごせてよかった。
そう思える日々を、ひとつひとつ積み重ねていく。
その中に、ちゃんと意味がある──
そんなふうに、私は信じていたいのです。

それでも、「安心できる家庭」を少しずつ築いていこうと決めた。
最後に…
もし今、あなたの中にも
「このままで大丈夫?」という気持ちがあるなら──
その不安ごと、大切に抱えていい。
ありのままの自分の気持を受け止めて、まずはそれを「認めることが出来たね」と褒めてあげてください。
ずっと、できないことばかりを数えて責め続けるのはとても苦しくて、辛いことです。
だけど、それも自分。だから、否定しない。
そんな自分も受け入れて、その中からできたことを見つけていく。
小さなことを積み重ねていくと、少しずつ自信に繋がります。
一緒に悩みながら、少しずつ光を見つけていけたら嬉しいです。
最近、私が印象に残ったセリフを紹介します。
親がどれだけ心配しようが、子どもはいつか勝手に飛んでいくものです。
こちらにできるのはせいぜい、うまい落ち方を教えることぐらいですよ。
引用:アニメ『ヴィジランテ』第9話 ナックルダスターのセリフより