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不登校の日々・体験記

【第3話】「学校に行きたくない」と泣く娘──無理やり登校させた私が気づいたこと

こはる

この記事は、子どもの「学校に行きたくない」という言葉に戸惑い、どう対応すべきか悩んでいる親御さんに向けた体験記です。

  • ✅ 不登校が始まりかけていて対応に迷っている
  • ✅ 無理やり登校させてしまって、心がつらい
  • ✅ 子どもを思う気持ちと、仕事との板挟みに苦しんでいる

『学校に行ってほしい』という親の思いと向き合いながら、自分を責めずに子どもとの関係を見つめ直すための視点や、気持ちの整理のヒントをお伝えします。

1.「行きたくない」の言葉から始まった日々

最初に「学校に行きたくない」と娘が口にしたのは、小学3年生の秋。前回の記事で触れた、あの日の朝でした。
その日を境に、娘の“行きしぶり”は少しずつ始まりました。朝になると「お腹が痛い」「行きたくない」と言うことが増え、学校を休む日がだんだんと増えていきました。ちょうど季節は秋から冬へ。
「本当にいじめがあるのか?」それとも「ただサボりたいだけ?」行きたくない理由がわからず、毎日、どうすべきか悩んでいました。

あるとき娘がぽつりと話しました。「いとこも、学校休んでゲームしてるんだって」。それが、学校に行きたくない理由のひとつだったのかもしれません。「ずるいと思ったの?」と聞くと、娘は「うん」とうなずきました。

その時の娘の話で、私はまだ、「サボりたいだけ」「ラクをしたいだけ」そんな考えの方が強くなりました。
この頃はまだ、娘のSOSだと気づけていませんでした。
でも、あとになって思い返すと、SOSだったんだ、と気付いたのです。

2. 行かないと、もう行けなくなる気がして

行きしぶりが続くと、「このままじゃ、もう行けなくなるんじゃないか」という不安に駆られました。
「学校に行きたい」と思った時に行けない子になるんじゃないか、そんな思いから、私は必死でした。
朝、玄関で泣き叫ぶ娘の手を引いて、引きずるようにし、車に押し込んで連れて行くこともありました。
「児童相談所に通報されるんじゃないか」「これって虐待?」そんな不安がよぎったこともあります。
無理やり学校へ向かわせ、玄関で待ってくれていた養護の先生に「お願いします」と、ほとんど“押し付ける”ようにし、「帰るー!」と叫ぶ娘を置き去りにして、私は出社していきました。

3. 養護教諭への引き渡し。泣きながら出社した朝

娘は泣きじゃくり、私も、学校に引き渡した後に泣きながら会社へ向かいました。
「こんなことまでして連れて行く必要があるのか?」
「これは娘のためなのか? それとも私の都合なのか?」

自問自答を繰り返しながらも、やっぱり『行ってほしい』という気持ちは消えませんでした。

健康、学力、社会性──どれをとっても、行ったほうがいいに決まっている。
そう思い込んでいました。

けれど、日を重ねるごとに、娘の泣き声が悲痛な叫びとなって聞こえました。
娘にとって為になる、仕事だってある、仕方ない。
引き裂かれそうになる心を、その思い込みでなんとか留まらせ、無理やり登校させる日々を続けました。

4. かえるかえる──娘から届いたメッセージ

1月のある日。出社していた私のスマホに、娘からLINEが届きました。
添付されていたのは、びっしりと「かえるかえる」と書かれた紙の写真。
その直後、学校から電話がありました。「帰りたいと言っているのですが」との内容でした。
話を聞いていると、教室のベランダに出ていて、中に戻るところを教頭先生に目撃されたそうでした。
クラスメイトは体育の時間で、先生の許可を得て、ひとり教室に残り自習していたそうです。
本人は「ちょっとベランダに出てみただけ」と興味本位だったようですが、私の中には強烈な恐怖が残りました。

“もしあのとき、飛び降りるようなことがあったら──”
背中にゾッとする感覚が走りました。
もし、そんなことになっていたら…私が無理やり連れて行ったせいだと、一生自分を責め続けていたと思います。

何よりも大切な娘を失っていたかもしれません。
私は、無理矢理連れて行ったことを、ひどく後悔し、なんて愚かな母親なんだろうと自分を責めました。

5. なぜ学校に行ってほしいと思うのか?

「ベランダ事件」以来、在宅勤務の日は、本人の意志に任せるようにしました。
無理矢理連れて行っても、本人を追い詰めるだけだろうと思ったからです。
それでも、「行ってほしい」と思う気持ちも消えずにあり、自分の本音を見つめ直してみました。

家から出ない生活。偏った食事。運動不足。同年代の子と関わらないこと。
成長期に必要な要素が足りていない気がして、心配でした。このままで、社会に出た時に困らないだろうか。
娘の幸せを思うからこそ「行ってほしい」。それもまた、私の正直な気持ちでした。

また、会社にいかないと行けない日は、ひとりで留守番させておく不安もありました。
せめて、会社に行く日だけは、頑張ってほしい、そう娘に伝えました。

「ママが困る」それもまた、本音でした。


娘の意思を尊重させたい気持ちと、将来への不安、自分の仕事の都合、どれも大事で、でも共存できない。板挟み状態となり、とても苦しくなりました。

6. 「全部私のせい」──母親としての限界

仕事では遅刻や呼び出しが増え、評価が下がりました。
上司との関係も悪化し、業務も簡易的なものに変わりました。
自分はこの会社には要らない、と言われている気がしてならなかったからです。
「少しでも負担がなくなるように」という上司の配慮だったかもしれません。
頭では理解できても、自分で自分に追い打ちをかけている精神状態では、ポジティブに捉えることができなかったのです。

「在宅勤務もフレックスも認められた制度なのに、なぜ使うたびに罪悪感を抱かなければならないのか」
そう思いながらも、周囲への遠慮が口を閉ざさせました。
そのうちに、「娘が学校に行かないせいでこんなに辛い」と感じてしまう日も出てきました。
泣きわめく娘に強く当たってしまい、自分を責め、また傷つく。
出口が見えず、ただただ疲弊していく毎日でした。

7. 子どもと話す、という選択

娘はまだ小3でしたが、「家族で生活していくためにママは働いている」ということは、伝えてよかったと思っています。
お互いの都合や気持ちを、言葉にして伝え合うことで、協力の形がつくれたかもしれません。

でも当時の私は、「全部自分のせい」と思い込み、誰にも助けを求めることができませんでした。
それが、私をより深く追い詰めていたのだと、今ならわかります。

不登校が始まりかけた頃。
いちばん苦しかったのは、「どうしたらいいのかわからない」ことでした。

子どもの気持ちを守りたい。
でも、生活は止められない。働かなければいけない。
現実には、遅刻・早退が増え、会社で肩身が狭くなることもある。
子どもには言えない。でも、限界は確実に近づいていた。

「誰に助けを求めればいいんだろう」
「これで正しいのかな」
そんな気持ちを抱えたまま、もがいていたのは、きっと私だけではないと思います。

そして、あなたへ伝えたいこと

「どうしたらいいかわからない」そんな気持ちを抱えていたのは、私だけではないと思います。だからこそ──
どうか覚えておいてほしいのです。

  • 自分の気持ちを口にしてもいい。
  • 子どもと一緒に悩んでもいい。
  • 『わからない』『つらい』と伝えてもいい。

親だからといって、すべての気持ちを押し殺す必要はありません。
子どもに隠さなくてもいいのです。

もしよければ、お子さんに

「あなたの気持ちも、ママの気持ちも、どちらも大切にしたいんだよ」

── 今日、伝えてみませんか?

その一言が、ふたりの心に “安心の種” をまいてくれるかもしれません。
そしてその種は、いつかきっと、小さな光となってくれます。

大切なのは、「親の気持ちを伝えること」です。
子どもを責めたり、「だから学校に行ってね」と促すためではありません。
それをどう受け取るかは、子ども自身のペースに委ねていいのです。

「伝えて何になるの?」と思うこともあるかもしれません。
けれど、親もひとりの人間です。
子どもがそのことに気づくことも、またひとつの成長です。

あなたが今感じているその想い──
それをそっと伝えることは、きっと親子の距離を縮める一歩になります。

次回予告

「学校に行けない娘」よりもーー
私を一番苦しめたのは、理解のない職場と、どんどん小さくなっていく自分の存在感でした。

次回の記事では、不登校と仕事の両立に苦しみ、
遅刻・早退・評価ダウン…そして心が壊れかけた私が、
環境を変える決意をしたときのことを綴ります。

「がんばり続ける」ことに限界を感じているあなたへ。
きっと、届く言葉がありますように。

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管理人(こはる)
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実はせっかち管理人
小2と小6の子を持つ、シングルマザーです。 上の子は不登校3年目。親子でのんびり歩いています。 最近の楽しみは、子どもと一緒にアニメを観ること。上の子の影響で音ゲーにもハマりつつあります。 毎週金曜日更新。
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