【第2話】突然の「学校に行きたくない」──娘が初めて休んだ日に私が学んだこと

この記事でお伝えする2つの気づき
私が実際に体験して強く実感した、親として大切にしたい2つのことがあります。
- 子どものSOSは、ほんの小さな変化で出てくる
- 二人だけの“安心する時間”は、何よりの処方箋
【1】はじめての「学校に行きたくない」
「今日、学校行きたくない…」
朝、そう言われて戸惑ったことはありませんか?
子どもが突然、そんな一言を口にしたとき──
親は、驚き、焦り、不安でいっぱいになります。
私もそのひとりでした。
小学3年生の娘が初めて「行きたくない」と言ったあの日のことを、いま振り返って、同じように悩んでいる方の助けになればと思い、この体験を綴ります。
【2】前日はとても元気だったのに
その前日は、秋晴れの休日。家族で大きな公園のお祭りに出かけました。
娘は弟や友だちと、ゲームをしたり屋台を回ったり。
よく笑い、走り回り、「楽しかったね」ととても満足して帰りました。
ただ、私は少し心配になりました。
子どもを持つ親ならよくある悩みだと思いますが、
「明日は学校。疲れが残って起きられなかったらどうしよう」
「明日の朝は、起こすのに苦労しそうだな」
そんなふうに、よくあることとして、軽く考えていました。
しかし翌朝、思わぬ形でその心配が現実のものとなりました。
【3】翌朝、予想外の理由が明かされる
そして翌朝。
「ママ、今日学校行きたくない」
やはりな…と思いながら理由を聞くと、まさかの返答が。
「悪口を言われるから行きたくない」
「えっ…?」
思わぬ理由に、とても動揺しました。
いじめ? 誰に? どうして?いつから?
思考が追いつかず、不安と焦りがぐるぐると頭を駆け巡りました。
てっきり、昨日の疲れが残っているだけだと、安易に考えていた自分にショックを受けました。そして、娘がそんなことを思っていたとは知らないことに、私はなんて愚かな母親なんだと、自分を責めました。
【4】娘と向き合えなかった私
当時、私は離婚して1年8ヶ月。
フルタイムの仕事に、年中の弟の育児、家事に追われる日々…
娘と向き合う時間が充分に取れていなかったと、強く自分を責めました。
「もっと早く気づいてあげれば」
「私のせいで、娘を追い詰めてしまったかも」
「離婚という大きな環境変化で、娘へのケアが足りていなかった」
そんな罪悪感が胸を締めつけました。
離婚調停は1年ほどかかりました。
原因は、ここでは詳細を省きますが、
私にも落ち度はありました。しかし、元夫の心無い言葉や態度に耐えかねて離婚を決意しました。(機会があれば別のタイミングでお話させていただくかもしれません)
結婚当時から私はひどくすり減っていて、常にイライラしていたと思います。
子どもたちにですら、負の感情を向けたこともたくさんありました。
離婚が成立してからは、そんな苦しい日々から開放され、精神的にとてもラクになっていきましたが、ひとり親という物理的な大きな壁に立ち向かうべく、翻弄していったのです。
そんな過去の自分を振り返って、思えば娘を酷く傷つけたのは自分だーそう強く思いました。
子どもの前で喧嘩して、子どもから父親を奪って、子どもの話しを真剣に聞かず、
子どもの為だと言って、仕事ばかりでーー
なんで、もっと話を聞かなかったんだろう
なんで、もっと抱きしめてあげなかったんだろう
なんで、もっと同じ時間を共有しなかったんだろう
「なんで、なんで、なんでーー」そんな罪悪感と後悔ばかりが押し寄せてきました。
その結果が、娘の「学校に行きたくない」という気持ちに繋がってしまったのだと、そう考えました。
【5】ふたりだけの時間が心をほぐす
私は思いきって、その日は娘と二人で出かけることにしました。
幸いにも在宅勤務だったので、最低限確認しないといけないことだけ済ませ、
同僚に引き継ぎ、急遽お休みをもらうことにしました。
そして前から行きたがっていた動物カフェへー。
そこには、ひよこ、うさぎ、フェレット、ハムスターにカメ。ふくろうなど、他にもたくさんの動物がいて、「いっぱいいる!」と笑顔になっていきました。
中でも娘が喜んだのがひよこ。餌を突いてくる様子や、ひよこを手のひらに乗せて「かわいい!」と嬉しそうに笑い、何度も餌をあげていました。

その姿を見ているうちに、少しだけ、私の心もすーっと軽くなっていきました。
帰り道、娘がぽつりと、でも屈託のない笑顔で「ママ、今日はありがとう」と言ってくれたのです。その言葉に、私はようやく少しだけ安心することができました。
それと同時に、後悔も押し寄せてきます。
もっと早く、こういう時間を作るべきだった。
娘と、二人きりの時間。娘が、母親を独り占めできる時間をーー。
私は、娘に今日学校に行かなかった真意を聞くことができませんでした。
こんなに楽しそうにしているところを、嫌な気持ちを思い出させたくなかった。
娘の中に、すこしでも「楽しい思い出」として残したかった、そう思ったら、切り出せませんでした。
【6】翌日、あっさり登校して…?
翌日、娘はいつも通り学校へ行き、そして何事もなかったかのように元気に帰宅。
拍子抜けした私は、「ただ疲れてただけ?私が過敏だった?」と戸惑いました。
本当にただ疲れていて、休みたい為の口実だったのかも…とも考えました。
当時の娘は、『休みたい。でも正当な理由がないと怒られるかも』
そんな理由から適当に言っただけかもしれません。
でも今思えば──
本人が気づいていなかったとしても、心の奥底には「いじめられている」という気持ちがあったのだと思います。
そしてこれが「本格的な不登校」への入り口だったのです。
【7】この経験から、私が本当に学んだ2つのこと
- 子どものSOSは、ほんの小さな変化で出てくる
朝の一言、少し疲れた表情。大人にとっては些細なことでも、実は子どもからの大事なサインかもしれません。忙しいからと言って蔑ろにせず、まずは「そうなんだね」と受け止めてみると、違う視点で物事が見えるかもしれません。 - 二人だけの“安心する時間”は、何よりの処方箋
どんな支援よりも、「私を見てくれている」と感じられる時間が、心の回復に繋がります。今、この時間は、あなただけを見ている、あなたと二人だけの時間だと、子どもと共有することが大切なのではと思います。
【8】あの日、私が選んだこと
「在宅勤務なら、仕事を休まなくてもいいか」
「学校だけ休ませればいいか。明日には普通に行くかもしれない」。
そんな考えが浮かばなかったわけではありません。
やはり、仕事を急に休むというのは、勇気がいることでした。
でも、それでも少し無理をして休んで、向き合う時間をつくったことは、間違いではなかったと思います。
たとえ、本人がいじめに深刻に悩んでいなかったとしても、
「親の気を全部、自分に向けてほしかった」
それが娘の本当の気持ちだったのかも知れません。
その手段が、「意地悪されるから」という理由を選んだだけだったかも知れません。
私としては、娘に寂しい思いをさせないよう、弟が生まれた時から、娘の気持ちを大事にしていたつもりでした。しかし、娘から見たら、“ママを弟に取られた”ように感じていたのかもしれません。
だからこそ、この時娘が発した「学校に行きたくない」のひとことを、軽んじなくてよかったと今も強く思います。
もちろん、向き合ったからといって不登校を防げたわけではありません。
今も娘の不登校は続いています。
けれど、あのときの一言をもし軽視していたら──。
娘の心を深く傷つけていたかもしれないと考えると、今でもぞっとします。
【9】あれは、娘からのSOSだった
今振り返って思うのは、「あれは、娘からのSOSだったんだ」ということです。
「学校に行きたくない」「意地悪されるから嫌だ」──
娘が勇気を出して言ってくれたその言葉は、事実かどうか、本音か嘘かなんてどうでもよくて、
大切なのは、“話を聞くこと”“受け止めること”。
その選択をしたあの時の私、グッジョブ。

読んでくださったあなたへ
もし今、「どうしたらいいかわからない」と悩んでいるなら、
まずは深呼吸して、子どもの目を見て、「今日はゆっくりしようか」と声をかけてみてください。
あなたのその気づきが、きっとお子さんの“安心の種”になります。
難しく考える必要はありません。
お子さんの好きなアニメを一緒に見る。
ふたりきりでショッピングにでかける。
家でテレビゲームを一緒にする。
何でもいい。
お子さんが好きなことを、一緒にするだけで充分です。子どもと向き合う時間は、たった一度でも、必ず心に残ります。
その積み重ねが、やがて“安心できる居場所”になります。
次回予告
次回は、「学校に行ってほしい」という親としての気持ちと、登校しぶる娘の現実との間で揺れ動いた日々について綴ります。
『かえるかえる』と学校にいるはずの娘から届いたLINE。
背筋が凍る出来事ー。
何が正解か分からず、ただもがいていた頃──
その葛藤の中で、私が感じた「親の気持ちを伝えることの大切さ」についてもお話しします。